鈴木美紀 | 日記 | 中國ドラマ「二人の王女」 則天武后VS 太平公主

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鈴木美紀 の日記

中國ドラマ「二人の王女」 則天武后VS 太平公主

2016.08.17

韓国ドラマ「善徳女王」がそうであったように王女から女王になるまでには数々の試練があり、波乱の人生を歩んだように、数奇な運命をたどった二人の王女がいた。
実の母親である、欲深い則天武后により宮廷を追われた長女と、何も知らず愛情を受けて宮廷で育った次女。長女は、次女と入れ替わり復讐を果たそうとする…。欲望渦巻く宮廷の中で、運命に翻弄され続ける二人の王女の物語。皇帝をめぐる妃たちの闘い、権力争いに巻き込まれる宮廷の人々、嫉妬心と復讐心、そして様々な欲望が渦巻く後宮の世界を描く。 二人の王女 DVD
太平公主は、唐 の皇帝 高宗 の娘。母は武則天 (則天武后)。
麟徳 2年(665年)、高宗の末の娘として生まれた。8歳の時、太平の号を授けられる。母の武則天は、自分と容姿や性格がよく似ていた娘の太平公主を寵愛し、吐蕃 から公主の降嫁を願う申し出があった際も、決して許さなかった。
681年 、薛紹 (城陽公主 の息子で従兄弟にあたる)に嫁して二男二女を生んだものの、夫は皇族・李沖 の謀叛に連座して捕らえられ獄死。続いて690年 、武攸曁 に嫁いで二男二女を生んだ
その後、宰相 張柬之 により武則天は退位し、天下は唐王朝に復するが、張兄弟と組んでいた従兄弟の武三思 が張柬之を失脚させ、安楽公主 (中宗と韋皇后 の娘)と結び、701年 、不倫の暴露を恐れた安楽公主が韋后と組んで中宗を毒殺した。「第二の武則天」となるべく韋后が温王李重茂 (殤帝)を擁立して傀儡としたのを危ぶみ、甥の李隆基 (のちの玄宗)と謀り、王女の男 DVD 韋后・安楽公主とその一族をことごとく誅殺して、隆基の父の相王李旦 (睿宗、太平公主の同母兄)を即位させた。ここに皇妹として太平公主の権勢は頂点に達し、万戸の封を与えられ、所生の男子3人もそれぞれ王に封ぜられ、一族も高位高官を占めた。一方、宰相の姚崇 ・張説 を左遷させるなど専権を極めるが、これらのことにより、次第に皇太子・隆基と対立を深めていくこととなる

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